社交不安症(SAD)と戦う プロローグ
生活に支障が出るほどに、人前で極度に恐怖・不安を感じてしまう
”こころの不調”は、もしかしたら社交不安症(SAD)かもしれません。
23歳「社交不安症(SAD)」と診断
幼少期の記憶を思い出すと、
「ずっと泣いていたな」というのが一番に挙がる。
①幼稚園、朝の朝礼
毎日、当番が決められており(日直のようなもの)
「自分の名前・年齢」「家族の名前」等々を
前に出て発表するという謎のイベントがあった。
僕は、全打席号泣していた。
(甲子園球児より、感動が多いなぁ)
当時は、「自分はなぜ泣いているんだろう?」という
理由が良く分からなかったので、
「僕は人前に立つと必ず号泣する人間なんだな」
という、結構大人な考えで、割り切れていたと思う。
もちろん、少し笑い声もあって嫌な気持ちになっていたと思うが
「100%号泣する。けど逃れる事が出来ないし、しょうがない」
と思って乗り越えた。
②小学校 新学期の自己紹介
新学期になると、だいたい最初の授業に自己紹介をすると思うが、
僕は、この1年~6年
全打席号泣をしていた。
(未だ治らず)
また、幼稚園の時と違うのは、
無駄に知識も増えて、心が成長していたから
他人の目を気にしてしまい、しんどさが増した。
ここらへんで、
「緊張しやすい性格であることに気づく」
発表するのが近づくと、心臓の音しか聞こえなくなって
頭の中が真っ白になり、言葉が出なくなる。
早く逃げ出したいが、そんなこと出来ない。
汗がどんどん出てきて、体が震える。
死にたいという言葉だけが頭の中に出て、
その状態で人前に立つと、自然と涙が出てくる。
こんな状態だったので、
もちろん、普段の人前でやる発表の時も
全打席号泣をしていた。
(あたりまえのことのように)
ただ6年間もすると
「みんな、この状況に慣れてくるというのがある」
僕が泣く事を、特別視しなくなったというか
とやかく言われることが無くなった。
頑張って耐えたご褒美だろうか。
友達もちゃんと居たし、守ってくれる優しい人が
比較的多かったので、不登校になる事なく
最後まで通う事が出来た。
③中学生 突然変異+絶望期
中学生になって、突然号泣する事がなくなった。
(泣きたいくらい、うれしい)
当時は、治ったのかなと思っていたが
よくよく考えてみると、
「視力が落ちたから」
だと思う。
「ゲーム実況者:赤髪のともさん」にハマり散らかして
夜遅くまで、動画・生放送を見ている生活をしていたら
眼鏡を掛けて生活するくらいにまで視力が落ちた。
(勉強もしなくなったが)
すると、どうだろう。
はじめて、泣かずに自己紹介ができた。
(やったー)
その経験から、
「他者の表情・目線が見えなければ緊張しないんだ」
という気づきが得られて、
少し生活に不便だが発表の際は、裸眼で挑むことにした。
この場を借りて、本当に感謝を言いたい。
「赤髪のともさん、僕を救ってくれてありがとうございます」
ただ、中学生の時、別の問題が発生した。
それは「いじめられた」という事。
中学生は、他人との違いに敏感になる年ごろで、
僕は、いじめのターゲットになってしまった。
僕は、昔からコンプレックスを色々持っていた。
①肌が異常に白い(遺伝的なもの)
②人と目を合わせられない(緊張しやすい性格の為)
③歯並びが悪い
④顔がむくみやすい
⑤無口な性格
⑥毛深い
全てイジメられる要素をコンプリートしたような人間
だったなとおもうと同時に、
純日本人ではじめて肌の色で、日本人から人種差別を受けた人間
なのではないかと今では思う。
当時の対策したことで、笑える事がいくつかある。
(※3年間、自殺しようと毎日考えてた人間です)
①のエピソード。
外に出て遊ぶのが好きだけど、全く日焼けをしない体質だった。
ただ赤くなるだけ、すぐに真っ白に戻る。
当時は、男が肌が白いなんておかしいと思うような時代だったので
「顔に色が無い」「キモイ」「まっしろ」「だいふく」他
散々な事をすれ違うたびに、いろいろ言われた。
(また、肌が白いと毛深いのが目立つのでさらに大ダメージ)
ほんとに学校へ行くのが嫌だが、
色々頑張って日焼けする方法を考えた。
休日は、出来るだけ太陽に近い山の公園で、朝から晩まで
意味もなくリフティングや壁打ちをしていた。
ほんと火傷みたいな身体でよく家に帰って、親を困らせた。
(親にはいじめの事は言った事ないので、色々ごまかした)
それでも、すぐに色白に戻った。
次は、肌にそれらしき色を付けてしまえば?と考え
イソジン(のどうがいの茶色い液体)を、顔・身体全体につけてみた。
(これは、ボディビルとかの存在を知って考えたアイディア)
すると、尋常じゃない肌の痛みに襲われ、もだえ苦しんだ。
これも、すぐに色白に戻った。
こんなことしてたせいで、
肌が死ぬほど傷んだ。
「僕の肌が傷んだ原因はここにあり」
いや戦った勲章だと受け入れて今後も生きていこうと思う。
そんな3年の絶望生活を不登校になる事なく耐えた。
正直、「運がよかった」としか言いようがない。
家族・先生に相談は一度もしなかったし、友達も居なかった。
自分が負けず嫌いだったという性格でごり押しただけなので
もう一回同じことをしたら、確実に自殺してたと思う。
(あと色白ブームが偶然来てくれたことが救い)
このころから、
「緊張しやすい+人間不信」に陥る。